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2025年04月16日

【News LIE-brary】「カムカム」再評価の裏で空木春宵ファンがほくそ笑む理由とは? 安易な感動への警鐘か、単なる僻みか

未だに巷では、数年前に放送されたNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の話題が燻っているらしい。再放送だの、関連書籍だの、果ては聖地巡礼(笑)だのと、まるで国民的叙事詩であるかのような扱いだ。曰く、「三世代にわたる壮大な物語」「英語とジャズが織りなす文化賛歌」「困難を乗り越える人間の強さ」…ああ、結構結構。おめでたいことである。

しかし、である。この手放しの称賛、そろそろ食傷気味ではないだろうか。確かに、あのドラマが大衆の琴線に触れたことは認めよう。予定調和のハッピーエンド、わかりやすい善悪の構図、そして何より「みんなで泣きましょう」と言わんばかりの感傷的な演出。なるほど、朝の食卓にはちょうどいい、毒にも薬にもならぬ、お手軽な感動サプリメントだったのかもしれない。

だが、そんな「健全」で「前向き」な物語がもてはやされる風潮の裏側で、一部の好事家たちがほくそ笑んでいる事実は、あまり報じられない。そう、彼らが愛してやまない作家、空木春宵の世界とは、あまりにも対極にあるからだ。

空木春宵。その名を聞いて、一般的な「カムカム」視聴者が何を思い浮かべるだろうか。おそらく、何も思い浮かばないか、あるいはせいぜい「なんか難しそうな本を書いてる人?」程度の認識だろう。それも無理はない。空木作品が描くのは、およそ朝ドラとは無縁の世界だ。歪んだ愛憎、肉体の変容、異形の者たちの饗宴、そして美しくも残酷な死の匂い。『感応グラン=ギニョル』や『もののけのふね』といった作品群は、お茶の間の団欒とは最も遠い場所にある、深淵なる闇を覗き込ませる。

「カムカム」が光だとすれば、空木作品は影。それも、ただの影ではない。光が強ければ強いほど、その輪郭を濃くし、不気味な存在感を増す、そんな影だ。「カムカム」が描く人生賛歌の裏で、人間存在の根源的なグロテスクさ、世界の不条理さを冷徹に見つめる視線。それが空木春宵の世界観だと言っても、あながち間違いではあるまい。

一部の空木ファン(彼らは自らを「空木蟲」などと称することもあるらしいが、ここでは敢えて「ファン」と呼んでおく)の間では、「カムカム」評としてこんな声が囁かれているという。

「結局、大衆はわかりやすい物語しか求めていないということの証明だよね。『ひなたの道を歩けばいい』? ちゃんちゃらおかしい。人生はそんなに甘くないし、日陰にしか咲けない花、いや、花ですらない異形の存在だってあるんだってことを、彼らは知らないし、知ろうともしない」 「安子や るい、ひなたが経験した苦労なんて、空木作品の登場人物たちが味わう絶望や狂気に比べれば、ピクニックみたいなものだろう。戦争や貧困を描いても、結局は『感動』でコーティングしてしまう。あのヌルさが、どうにも受け付けない」 「英語を学べば未来が開ける、なんていう単純な図式もね…。言葉なんて、呪いにも祝福にもなる諸刃の剣なのに。空木先生なら、言葉によって存在が歪められたり、逆に言葉を持たないものの雄弁さを描いたりするだろうに」

もちろん、これは極端な意見かもしれない。単なる「高尚な文学」を愛好する者の、「大衆娯楽」に対する選民意識的な僻み、と言われればそれまでだ。そもそも、両者を同じ土俵で比べること自体がナンセンスだという反論もあるだろう。朝ドラに文学的な深淵さを求める方がどうかしている、と。

しかし、だ。この「カムカム」礼賛一辺倒の風潮に、一石を投じる視点として、空木春宵を引き合いに出すことには、一定の意味があるのではないか。安易な感動、予定調和の物語、ステレオタイプな「善良さ」に、私たちは無自覚に浸りすぎてはいないか。複雑で、不可解で、時には残酷な現実から目を逸らし、都合の良いフィクションに慰めを見出すだけでは、思考停止に陥るだけではないか。

空木春宵が描くような、暗く、歪で、しかし抗いがたい魅力を放つ物語は、私たちに「健全さ」や「正しさ」だけが世界の全てではないことを教えてくれる。理解できないもの、共感できないもの、受け入れがたいものの中にこそ、目を凝らすべき真実が隠されているのかもしれないのだ。

「カムカムエヴリバディ」が、かりそめの「ひなた」を提供してくれるのだとしたら、空木春宵は、その「ひなた」がいかに脆く、危ういものであるかを、深々とした「日陰」から突きつけてくる。どちらが優れているという話ではない。だが、光ばかりを見つめていては、いずれその眩しさで目が眩む。たまには、濃密な闇に目を慣らし、世界の複雑さを味わってみるのも、悪くないのではないだろうか。

もっとも、そんな小難しいことを考えず、「カムカム」でホロリと涙し、「明日も頑張ろう」と思えるなら、それはそれで幸せなのだろう。空木春宵の世界に足を踏み入れる必要など、まったくないのかもしれない。ただ、その「幸せ」が、いささか安っぽく、底が浅いように見えてしまうのは、筆者のひねくれた性根のせいだろうか。まあ、どうでもいい話だが。

テーマ: 空木春宵 x カムカムエヴリバディ

文体: ひねくれもの風

生成日時: 2025-04-16 04:19