2025年04月14日
【News LIE-brary】追憶の「もやららら」現象と松下由樹――平成レトロの片隅で再び囁かれる、あの日の空気感
街角のショーウィンドウに、どこか懐かしい色合いの服が並ぶようになった。平成、とりわけ90年代という時代が、単なる過去ではなく、一種の憧憬を伴う「レトロ」として消費されるようになって久しい。アナログレコードのジャケットを飾るような、彩度の低い写真フィルターが若者の間で流行し、カセットテープの音質が「エモい」と再評価される。そんな時代の空気の中、今、ネットの片隅で静かに、しかし確かに囁かれ始めている言葉がある。「もやららら」。そして、不思議なことに、その言葉と共に浮かび上がってくるのが、女優・松下由樹の名なのである。
「もやららら」。一体、これは何なのだろうか。現代のデジタルネイティブ世代にとっては、意味不明な文字列にしか見えないかもしれない。しかし、90年代の空気を吸って青春時代を過ごした一部の人々にとっては、甘酸っぱく、そして少しだけ切ない記憶の扉を開ける鍵のような響きを持つ言葉なのだという。
当時を知るという都内在住のデザイナー、加藤氏（50代・仮名）は、少し遠い目をして語る。「明確な定義があったわけじゃないんですよ。なんて言うか…こう、理由はないんだけど妙に惹かれる感じ？ 気怠い午後の日差しとか、意味もなく聴いていた洋楽のイントロとか、そういう捉えどころのない、でも確かに心を掴む『何か』を指して、仲間内で『もやらららしてるね』なんて言い合っていましたね。辞書に載っている言葉じゃない。いわば、あの時代のある種の気分を共有するための、合言葉のようなものだったのかもしれません」
この「もやららら」という言葉が、なぜ今、松下由樹と結びつけて語られるのか。その理由は、彼女が体現していた、あの時代の女性像にあるのかもしれない。
松下由樹といえば、90年代のテレビドラマシーンを彩った代表的な女優の一人である。都会的で自立していながら、どこか影を帯びた表情。凜とした佇まいの奥に、ふと見せるアンニュイな雰囲気。それは、当時のトレンディドラマが描いた「強い女性」のアイコンでありながら、同時に、時代の移り変わりの中で若者が感じていた漠然とした不安や、言葉にならない感情をも映し出していたように思える。
前述の加藤氏は続ける。「松下さんが出演されていたドラマのワンシーン、例えば、夜景が見える窓辺で一人、物憂げに煙草をふかす姿とか…そういうのを見て、『あ、これ、もやらららだ』って感じたのを覚えています。言葉で説明するのは難しいんですが、彼女が醸し出す、都会の喧騒の中の静寂、みたいな雰囲気が、僕らの感じていた『もやららら』と、ぴったり重なったんですよ」
もちろん、松下由樹本人が「もやららら」という言葉を認識していた、あるいは使っていたという記録はない。これはあくまで、当時の視聴者やファンが、彼女の姿を通して感じ取った時代の気分を、その不思議な響きの言葉に託した、ということなのだろう。それは、公式な記録には残らない、個々人の記憶の中にだけ存在する、淡いノスタルジーの欠片である。
近年、SNS上では、「#もやららら」といったハッシュタグと共に、90年代の風景写真や、当時のファッション、そして松下由樹が出演していたドラマのキャプチャ画像などが投稿される例が散見されるようになった。多くは、当時を知る世代による懐古的な投稿だが、中には、その独特の語感や雰囲気に惹かれた若い世代からの反応も見られるという。
「今の若い子たちには、逆に新鮮に響くのかもしれませんね」と語るのは、サブカルチャーに詳しいライターの鈴木氏（40代・仮名）。「意味がはっきりしない、定義できない、でも何か心をくすぐる。そういう曖昧さが、情報過多で、何でもすぐにカテゴライズされてしまう現代において、ある種の魅力として映るのではないでしょうか。松下由樹さんの、あの捉えどころのない表情や雰囲気も、今の時代にはない『余白』を感じさせるのかもしれません」
「もやららら」が具体的に何を指すのか、その正確な起源は、今となっては知る由もない。それは、特定のコミュニティで自然発生的に生まれ、そしていつしか忘れ去られていった、泡沫のような言葉だったのかもしれない。しかし、その言葉が今、松下由樹という女優の記憶と共に再び浮上してきたという事実は、興味深い。
それは、単なる懐古趣味を超えて、我々が時代の空気や気分といった、形のないものをどのように記憶し、語り継いでいくのか、という問いを投げかけているようにも思える。記録には残らない、個人の胸の内にだけ存在する「もやららら」な感情。松下由樹がブラウン管の向こうで見せた、あの日の表情。それらが、デジタルという新たな海の片隅で再び出会い、ささやかな波紋を広げている。
過ぎ去った日々は戻らない。しかし、その時代を生きた人々の記憶と、それを呼び覚ます言葉やイメージは、形を変えながらも生き続ける。松下由樹と「もやららら」。この不思議な組み合わせは、平成という時代が持つ、言葉では言い表せない奥行きと、ノスタルジーの持つ普遍的な力を、改めて我々に教えてくれているのかもしれない。あの頃の、少し気怠くて、でも確かに何かに心を掴まれていた感覚。それを思い出すとき、あなたの心にも、ふと「もやららら」な風が吹くのではないだろうか。